いぶりひだか建設コネクト
土木のこころ
荒木コンサルティングオフィス代表 荒木正芳

京都出身のノンフィクション作家、田村喜子さん(故人)が著した「土木のこころ」の復刻版が2021年2月、発刊された。本書は2002年に山海堂から出版された後、同社の廃業によって絶版になったが、寿建設(福島県)の森崎英五朗社長が「土木の魅力を広く知ってもらいたい」と復刊に向けて奔走し、復刻版の刊行にこぎつけた。「土木の応援団」を自称していた田村喜子さんは、建設省道路審議会の委員を経て国土交通省独立行政法人評価委員などを歴任し、個性豊かな風土文化を生かした地域づくりを提唱する「NPO法人風土工学デザイン研究所」の理事長を務めていた。

復刊になった『土木のこころ復刻版-夢追いびとたちの系譜』(現代書林)は、明治から昭和にかけて活躍した土木技術者に光を当てた作品。北海道にゆかりのある田辺朔郎や廣井勇ら20人の土木技術者の偉業をつづっている。>田村さんは1984(昭和59)年、明治期の京都琵琶湖疏水建設工事を題材にした小説「京都インクライン物語」(新潮社)で第一回土木学会著作賞を受賞。その後、北海道を舞台にした鉄道敷設史「北海道浪漫鉄道」(新潮社)を上梓した。

「京都インクライン物語」と「北海道浪漫鉄道」の主人公はいずれも、20代の若さで琵琶湖疏水工事の陣頭指揮を執った青年土木技師、田辺朔郎(1861~1944年)である。田辺は東大教授のイスを投げ打って北海道へ渡り、交通の難所といわれた旭川市神居古潭や狩勝峠、石北峠の鉄道ルートを実地踏査し、千マイルの北海道鉄道の完成を夢見て、人跡未踏の地に大きな足跡を残した。

20年前、私が建設専門紙の記者だったころ、田村喜子さんをインタビューしたことがある。田村さんに取材を申し込んだ理由は、当時、世間で「公共事業バッシング」が吹き荒れ、「逆風で意気消沈している北海道の土木界にハッパをかけてほしい」との思いがあったからだ。

インタビューの中で田村さんは、北海道浪漫鉄道の主人公、田辺朔郎が北海道長官の北垣国道に請われて北海道へ渡ったときの心中を、こう話した。

「彼は北海道に渡るとき『東北は千年の歴史がある。しかし、これから我々が造るのなら、今の技術に合った新しいモノをつくらなきゃうそだ。北海道を未来に拓く国土とするために必要なものは、まず鉄道だ』という決意で北海道に来た」と。

また、明治政府が日清戦争後の財政難を理由に、北海道鉄道敷設事業を中止しようとしたとき、道庁の鉄道部長だった田辺朔郎が当時の井上馨大蔵相に直談判し、百万円の予算を獲得したエピソードが、小説の中に出てくる。

北海道の公共事業に対する風当たりが強い状況に照らし合わせて、田村さんは「国が北海道の公共事業を大幅に減額すると言ったら『今、減らしたら、今までつぎ込んできたものがフイになります。それでいいのですか』と、田辺朔郎のように堂々と渡り合えばいい。そんなふうに勇気があって、百年先を見とおせる人が今の北海道にいますか?」と問われ、即座に返事ができなかった。

ある中央の政治家が「北海道の高速道路は車よりクマが多い」と発言し、無駄な公共事業の例として本道のインフラ整備をヤリ玉に挙げたことがあった。こうした一方的な論調の背景には、狭隘な住宅事情に加え、毎日“通勤地獄”を味わっている都会人のヒステリックな感情がある。

だが、北海道で暮らす我々にも反省すべき点はある。それは、北海道における社会資本整備の充実が道民だけではなく、首都圏に住む人々の食生活や余暇にも役立っていることを、十分に情報発信してこなかったことだ。

これまで「広報・宣伝・PR」の強力な情報媒体といえば、テレビ・ラジオ、新聞、広告代理店など大手メディアの独壇場だったが、そのガリバー的な存在もだんだん色あせてきた。近年は、誰もが手軽に、さまざまな情報をリアルタイムで伝えることができる、ソーシャルメディアが席捲しつつある。

北海道の豊かな自然や食を支えるインフラの存在と重要性を、自らの手で、しかも「さりげなく」…、全国、世界へどう伝えていくか。若き建設業界人の出番だ。

(終)